2025-10-23古賀
グローバルの疲労と、ナショナルの再定義
今週から急に涼しくなり、一気に秋が来たという感じです。
秋は一番好きな季節なのですが、いつも一瞬で冬になるので、今年はしっかり味わいたいと思います。
政治の世界でも、大きな空気の変化がありましたね。
高市政権の誕生は、単なる政権交代というより、長く続いた潮の流れが反転したような出来事でした。
グローバリズムの波は、世界を一つにつなげた一方で、どこかで人々を疲弊させてきた。
「多様性」や「協調」という言葉が重くなり、誰もが「自分たちの軸」を探し始めていた。
いま世界で起きているナショナリズムの再燃は、過去のような排外主義ではなく、「自分たちの生活を、自分たちの手で守りたい」という、ごく自然な感情の表れだと思う。
日本も例外ではなく、高市政権の誕生を「保守回帰」と見るよりも、「再定義」の始まりと捉えた方がしっくりくる。
開国と攘夷、中央集権と地方分権。
日本の歴史は、振り子のように揺れながら進んできた。
そのたびに少しずつ形を変え、学びを重ねてきた。
今回の変化はまさに「維新」でしたね。
そして、その流れを作ったSNS、民意の力は本当に凄い!
ナショナリズムとは外を拒むことではなく、内側の責任を取り戻すこと。
揺り戻しの中にこそ、前進の芽がある。
この国がどんな方向へ進むにしても、「自分たちの言葉で未来を語る」段階に入ったことだけは、確かだと思う。