2025-04-03橋本
最近の事
SNS規制法が施行されてしまいました。
言論弾圧まっしぐらかもしれません、、誹謗中傷が減るかもしれません、、個人的には様子見です。
今回はこの辺に因んだニーチェのお話を、、
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この世界には劣っている者と優れている者がいる。
劣った者たちは本当は優れた者になりたいという理想を持つが、現実がその理想と合致してくれない。
だから劣った者は精神の痛みを伴い、その痛みを忘れたがっている。
しかし、もしもだ、
自分たちがなれなかった優れた者たちが、実は悪であると考えることができたらどうだろう。
「あの金持ちは本当は詐欺師だ」「あの人気者は本当は嘘つきだ」「あの美男美女は本当はゆがんだ人間性を持っている」
それが必ずしも事実である必要はない。
劣った者こそが正義となり、自分たちの精神を痛めつけてくる現実と理想の摩擦が中和される。
こうして劣った者たちは誹謗中傷に勤しむこととなる。
彼らの正義として、「常識的にこうあるべきだ」とか「道徳的にこうあるべきだ」とか「人としてこうあるべきだ」
などと自分たちを正当化する。
これが「善なる」劣った者たちの仲間が仲間を呼び、群れとなり、その群れが互いの精神を癒し合う「快感のるつぼ」となる。
そしてこの弱者の活動は実際のところ、誰にも止めることは出来ない。
どんな時代でも、どんな法律を定めても、どんなにテクノロジーが進んでも変わらない。
これは人間の本性に刻み込まれた性質、習性なのだ。
人間が人間である限り、誹謗中傷がなくなる事などない。
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以上、およそ120年前の哲学者、ニーチェのお話。
なるほど、だから飯山陽の誹謗中傷、虚偽の流布を誰にも止められないのか、と、妙に納得した最近でした。